
「お金を払って作ってもらったデータなのに、なぜ自社のものにならないのか?」
そう憤りを感じている方は少なくありません。制作会社やフリーランスにロゴ、チラシ、Webサイトなどの制作を依頼し、納品後に「修正は社内でやりたいから元データをください」と伝えた瞬間、相手の態度が急変する。「それはできません」と拒否されるか、あるいは「制作費の数倍」という驚くような金額を請求される。
「ふざけるな、金は払ったぞ」と言いたくなる気持ち、痛いほど分かります。
しかし、ここで感情的に詰め寄っても、事態は悪化するだけです。なぜなら、デザインやWeb制作の業界には、一般の商習慣とは異なる独自のルールと法律(著作権法)の壁が存在するからです。
私は普段、企業のSEOやGoogleマップ運用の自動化システムを構築していますが、この「データの権利」に関するトラブルは、アナログ・デジタル問わず、クライアントと制作会社の間で最も頻発する火種の一つです。
この記事では、多くの経営者が陥りがちな「発注者の誤解」を解き明かし、こじれてしまった制作会社との関係を修復しつつ、しかるべきデータを手に入れるための「現実的な交渉術」をお伝えします。
これは、単なる法律論ではありません。あなたのビジネスの資産を守るための、防衛策です。
なぜ業者は「納品データ(元データ)」を渡してくれないのか?
- 完成品と「元データ」は別物であるという認識のズレ
- 「料理」は提供するが「秘伝のレシピ」は渡さない理屈
- 素人が触ることによる「デザイン崩壊」への懸念
まず、相手(制作会社やデザイナー)がなぜ頑なにデータを渡したがらないのか、その深層心理と業界の常識を理解する必要があります。
多くの発注者は「制作費=データの買取費用」と考えていますが、制作者側は「制作費=技術料+完成品の使用料」と捉えています。
分かりやすい例で言えば、レストランです。あなたは美味しい料理(完成品)にお金を払いますが、その対価として「シェフの調理器具」や「秘伝のレシピノート(元データ)」まで要求できるでしょうか? おそらく「それは別料金、あるいは門外不出です」と言われるはずです。
デザインデータ(IllustratorのaiデータやPhotoshopのpsdデータなど)は、制作者にとっての「調理器具」であり「レシピ」そのものです。そこには、彼らが長年培ってきた技術、レイヤー構造のノウハウ、特殊な加工設定などが詰まっています。
また、もう一つの理由として「クオリティの担保」があります。プロが調整したデータを、専用ソフトを持たない、あるいは知識のない人が触ることで、デザインが崩れ、予期せぬ形で世に出ることを、制作者は極端に嫌います。「自分が作ったものが、変な形で広まるのは恥だ」という職人気質も、拒否の背景にはあるのです。
知っておきたい「著作権」と「所有権」の決定的な違い
- お金を払っても「著作権」は自動的に移動しない
- 所有しているのは「媒体」だけで、中身の権利ではない
- JAGDAのガイドラインでも権利は制作者にあるとされる
ここが最もトラブルになりやすいポイントです。「納品物を受け取った=自分のもの(所有権)」と「自由に改変・流用できる権利(著作権)」は、法的には全くの別物です。
例えば、あなたが画廊で絵画を購入したとします。あなたにはその「キャンバス(所有権)」を持つ権利はありますが、その絵を勝手にコピーしてポストカードとして販売したり、絵の一部を書き換えて展示したりする権利(著作権・翻案権)までは、通常含まれていません。
デザイン制作もこれと同じです。公益社団法人日本グラフィックデザイン協会(JAGDA)の「制作物に関連する権利と法」においても、デザインの著作権は原則として制作者に帰属し、クライアントには「使用権」を許諾する形が一般的であるとされています。
つまり、契約書で明記していない限り、あなたがお金を払ったのは「そのチラシを配る権利」や「そのWebサイトを公開する権利」であって、「データを自由に使い回す権利」ではないのです。
法律的にはどっちが正しい?拒否されるのは違法ではない理由
- 契約書に「譲渡」の記載がなければ制作者が有利
- 著作者人格権により「勝手な修正」も拒否できる
- 「下請法」などが適用されない限り強要は難しい
残念ながら、法律(著作権法)の観点だけで見れば、契約なしに元データを要求された場合、制作会社が「渡しません」と言うことは違法ではありません。むしろ、彼らの権利を守る正当な行為とみなされます。
さらに、著作権法には「著作者人格権」という強力な権利があります。これには「同一性保持権」が含まれており、制作者は「自分の意に反して、勝手に作品を修正・変更されない権利」を持っています。
つまり、「お金を払ったんだから、自社で勝手に修正させろ」という要求は、この同一性保持権の侵害になる可能性すらあるのです。
「納得がいかない」と感じるかもしれませんが、これが法律の現実です。この前提を知らずに「訴えるぞ」などと脅してしまうと、逆にこちらが不利な立場に追い込まれてしまいます。だからこそ、ここからは「法律論」ではなく「ビジネス交渉」が必要になるのです。
データの譲渡費用はなぜ高い?相場が「制作費の数倍」になる背景
- データ譲渡費=将来の売上の「手切れ金」
- 他社への乗り換えを許容するための「バイアウト費用」
- 二次利用による利益逸失を防ぐための価格設定
「分かった、じゃあデータを買う。いくらだ?」と聞いたとき、提示された金額に驚愕した経験はないでしょうか。元の制作費が10万円なのに、データ譲渡費として30万円、50万円と言われることも珍しくありません。
これは単なるぼったくりではなく、彼らにとっての「逸失利益の補填」という意味合いが含まれています。
制作会社は、一度作ったものの「修正」や「増刷」、「Webサイトの保守」で継続的に収益を上げるビジネスモデルをとっていることが多いです。元データを渡すということは、その将来の仕事を全て失う(=他社や内製に切り替えられる)ことを意味します。
つまり、データ譲渡費用の正体は、携帯電話の解約金のような「手切れ金」であり、そのデザインを使ってあなたが将来生み出すであろう利益に対する「ライセンス料の先払い(バイアウト)」なのです。
相場としては、制作費の2倍〜10倍など幅がありますが、「これからの関係を断つ」ための費用が含まれていると理解すれば、高額になる理由は見えてきます。
無理にデータを受け取っても発生する「ライセンス」の落とし穴
- フォント(書体)のライセンスは譲渡できない
- 有料素材(ストックフォト)の再購入が必要になる
- 結局、データを開いても「編集できない」リスク
高いお金を払って、あるいは激しい交渉の末に、なんとか「aiデータ」を入手したとします。しかし、それで全て解決するわけではありません。ここに落とし穴があります。
プロのデザインデータには、商用利用可能な「有料フォント(書体)」や「ストックフォト(写真素材)」が使われています。これらは、制作会社がライセンス契約をして使用しているものであり、データを譲渡されたからといって、そのライセンスまであなたの会社に移るわけではありません。
もし、あなたの会社のパソコンに同じフォントが入っていなければ、データを開いた瞬間に文字は別のフォントに置き換わり、デザインは崩壊します。また、写真素材の使用権が「制作会社による使用」に限られている場合、あなたがそのデータを流用すると、素材会社から著作権侵害で訴えられるリスクもあります。
データを引き取る際は、「アウトライン化(文字を図形化すること)」されたデータをもらうのか、それとも自社でフォントを購入する覚悟があるのか、そこまで確認する必要があります。
今すぐ試せる!スムーズにデータを譲り受けるための3つの交渉術
- 「権利の主張」をやめ「相談」のスタンスで入る
- 使用範囲を限定して安価に譲ってもらう
- 「買い取り」ではなく「管理費」として交渉する
では、すでに関係がこじれかけている、あるいは高額請求されている場合、どうすればいいのでしょうか。喧嘩腰にならず、相手の顔を立てながらデータを引き出す「落とし所」を3つ提示します。
1. 「内製化の協力」としてお願いする(態度の軟化)
まず、「お金を払ったのだから寄越せ」という態度を捨てます。「社内の緊急対応で、簡単な文字修正だけはどうしても自分たちでやる必要が出てきた。デザインの根幹は変えないので、協力してもらえないか」と相談ベースで持ちかけます。相手の「デザインを崩されたくない」という懸念を払拭する一言を添えるのが鍵です。
2. 「編集可能な範囲」を限定したデータをもらう
完全な元データ(aiデータ)ではなく、「文字部分だけ修正可能なPDF」や「背景と人物が統合された状態のpsd」などを要求します。これなら、制作者のノウハウ(レイヤー構造など)は守られるため、交渉のハードルが下がります。「全てを渡すか、渡さないか」の0か100かではなく、間のグレーゾーンを狙うのです。
3. 「譲渡費」の根拠を細分化して値切る
高額な見積もりが出た場合、「著作権の完全譲渡」ではなく、「自社内での利用に限った永続ライセンス」として価格交渉をします。「他社には売らないし、大規模な改変もしない。ただ、自社で管理したいだけ」という契約書(覚書)を交わすことで、相手のリスクを減らし、価格を1/3程度まで抑えられるケースがあります。
次回から失敗しないために。契約時に盛り込むべき「データ譲渡」の条項
- 発注前の「見積もり段階」でデータ譲渡を確認する
- 「成果物」の定義に元データを含める
- 「著作者人格権の不行使」を契約に入れる
今回のトラブルを教訓に、次回の発注からは必ず「契約前」に手を打ちましょう。制作が始まってからでは遅いです。
もっとも重要なのは、見積もり依頼の段階で「納品物には、編集可能な元データ(ai/psd等)を含みますか?」と確認することです。そして、契約書の「成果物」の欄に、必ずファイル形式を明記させてください。
さらに、契約書には以下の2点を盛り込むことが理想です。
- 著作権の譲渡条項: 「本件成果物の著作権(著作権法第27条及び第28条の権利を含む)は、甲(発注者)に譲渡する」
- 著作者人格権の不行使条項: 「乙(制作者)は、本件成果物に対し、著作者人格権を行使しないものとする」
これらが最初から合意されていれば、後から追加費用を請求されることも、引き渡しを拒否されることもありません。もちろん、その分、最初の制作費が多少上がる可能性はありますが、後々のトラブル解決コストに比べれば安いものです。
まとめ
業者がデータを渡さないのは、単なる意地悪ではなく、彼らなりの「権利防衛」と「ビジネスモデル」によるものです。
法律論で正面突破しようとしても、分が悪いのは発注者側であるケースがほとんどです。だからこそ、感情をグッと抑え、相手の「プロとしての懸念(デザイン崩壊や権利侵害)」を理解した上で、「こちらのビジネスの事情」を汲んでもらう交渉が必要です。
私が提供しているような自動化システムの世界でも同じです。システムやデータが「誰の手にあるか」は、ビジネスの命綱です。
今回の件を「高い勉強代」で終わらせず、ぜひ次のアクションに繋げてください。まずは、相手に「喧嘩を売るメール」ではなく、「相談を持ちかけるメール」を送ることから始めてみましょう。